top of page

Encounter with DANCER

1980年代 HR・HMインディーズシーンで
光り輝いていたBAND「DANCER」
高校時代にこのBANDに出会っていなかったら、
僕はどうなっていたのだろう?
想像もつかないくらい大きな影響を与えてくれました。

DANCERとの出会いは、
高校2年の3月にあった学校行事で
「能」を見に行った時でした。
当日は、確か名古屋市民会館へ、
まったく興味のない「能」を
学年全体で見にいっており、
当然そっちは全く関心がなくウォークマンで
音楽を聴いたりして時間をつぶしていました。
そして、友人からインディーズのバンドで
お前の好きそうなBANDがあるから聴いてみたら
とカセットテープを渡され、聴いてみました。


最初に聴いた曲はBLUE FIREでしたが、
BLUE FIREを聴いた時点では、
ハイトーン・ボーカルで早弾きのギターのBANDなんだ
くらいの印象でしたが、
2曲目のDEATH CRYを聴く頃には、
]すごいかっこいいじゃんになり、
3曲目のTHROUGH IN THE NIGHTでは、
すっかりメロメロ状態でした。

カセットを聴き終わると同時に、
友人にDANCERとはどんなBANDなのか?と聞いてました。
聞いたら、友人は
東京のBANDで近々LIVEがあるらしいと教えてくれました。
その情報を聞き、すぐにロッキンFを見てチェックすると
何とNEWアルバムの発売記念LIVEツアーが行われるという
広告記事がのっていました。
それも、その記事を見た1週間後くらいに
LIVEが名古屋ELLで行われるという。

なんというタイミングの良さ。まさに運命的な出会いでした。
当時、LIVEハウスになど行ったこともなく、
当然 名古屋ELLに行くのは初めてでしたが、
何の迷いもなく1人でLIVEに行く事にしました。
LIVE当日、期待に胸をふくらませ名古屋ELLに行きました。
DANCERを生で見ることができると思うと
ワクワクしてしょうがありませんでした。

ELLにつくと、すでにLIVEは始まっていました。
あわてて入ると、
BANDの様子も曲なども全然違うんじゃないかと、
とまどいながら聴いてました。
新譜の発売記念だから知らない曲なんじゃないかと
納得しようと思いましたが、
自分の思っていたのと全然違うじゃないか
と思いながら30分くらいがたちました。

DANCERってこんなBANDなのか?
雑誌の写真とも違うし、どうなってるんだと思っていたら、
それが当日の対バンのBANDだということがわかり、
ほっとしました。
(当時は、対バンなんていう知識もなかったので)

 
対バンだったBANDが終わり、
いよいよDANCERの出番がきました。
SEが流れ始め、さっきまでの雰囲気とは全く変わりました。
いよいよだ と思いながらSEが終わると
新曲VIOLENT EMOTIONでLIVEが始まりました。
新曲だったので曲はしらなかったけど、
あまりのかっこ良さに圧倒されてしまいました。
当日どんな曲をやっていたか、詳しい記憶はありませんが
本当にすばらしいLIVEでした。
アンコールの最後の曲はBLUE FIREでしたが、
このころには興奮して、1番前の方まで行き、
泰司さんの名前を叫んでいたのを覚えています。

 
これがLIVEで初めてあじわった最高の時でした。
LIVEが終わると、余韻もさめやらず販売されていた
アルバム2枚とシングル1枚全て購入しました。
VIOLENT EMOTIONのレコードには、
メンバー全員のサインが書かれており、感激しました。

この日から、DANCERづけの毎日が始まりました。
その後、DANCERのLIVEは名古屋であれば全て行き、
友人も何人か引き込みました。
高校3年の時には、友人たちとBANDをやり、
恐れ多くもDANCERのコピーBANDをやってました。
BAND名も DEATH CRYとし、高校の学祭でVIOLENT EMOTION、
THUNDER AND LIGHTNING、TIME TO DIE、
BLUE FIREの4曲を演奏しました。
僕がやってたのはギターでしたが、
ギターソロは当然完全に弾けるわけはなく、
なんとかそれらしく弾いた記憶があります。

今でもDANCERは自分の中で大切なBANDであり、
今後もおそらく一生聴きつづけるBANDだと思ってます。
(今の時点で14年間は聴き続けている)
今年の4月に1曲限りの復活LIVEがありましたが、
残念ながら見ることはできませんでした。
次に機会があれば何とか行きたいと思ってます。
bottom of page